最後は、伝える執念
さて、ここまではテクニカルな問題として、読者に漫画を通して何かを伝えるとはどういうことかを考えて来たのですが、上記のようなことが出来るようになったとして、最後の最後、私たちがするべきことについて考えようと思います。
よく、プロの漫画家やプロの作家は「覚悟」という言葉を使います。何に対する覚悟かというと、自分がプロフェッショナルの創作者として、原稿を上げないと、また原稿が売れないと飯が喰っていけないんだという覚悟です。そういう覚悟があるので、作者は原稿のクオリティを執念で引き上げます。
このことについては多少精神論的になってしまうのですが、プロの漫画家や小説家のそのような覚悟は、不思議と読者に伝わるものです。歴代の名作で言うと、「あしたのジョー」や「ハチミツとクローバー」などは、読んでいて途中から作家のすさまじい執念に圧倒される作品です。
星の数ほどいる専業漫画家の、歴代の名作に比べて、私たち漫画家志望者が読者により強い感情を伝えるのは無理なことです。私たちは生活のために漫画以外のこともしなければならないので、どうしても断片的な作品しか作れません。村上春樹さんはこういうデビュー前の兼業小説家が書くデビュー作を「キッチン小説」と呼びましたが、僕たちは専用の机もなく、仕事やアルバイトから帰って来て一日数時間しか原稿に手を入れられません。
けれど、僕たちが読者に何かを「伝えたい」と思う気持ちを持つことはとてもとても大事なことです。それは特にネームの修正などで言えますが、「このセリフをこう直した方が、ここで自分が伝えたいことが伝わるのではないか」、「ここをこういう演出にすることで、よりテーマが読者に伝わるのではないか」、「ここの大ゴマは、もっと描き込まないと読者の感情を揺さぶれないんじゃないか」といったことを考え続け、描き続ける。
もちろん、1作の原稿を描いたら自分のやりたかったことの全てが出来、全てが読者に伝わるといった世界ではありませんが、初めに述べた読者とのコミュニケーションが図れている原稿、独りよがりの域を脱した原稿は、最後の最後、そういう執念で修正すると、より良い原稿になる場合が多いです。
私は、みなさんに良い原稿を描いてもらいたいです。そして、とりあえず早いうちにデビューして、夢だった「漫画家」になり、漫画家としての自分の適性について知り、人生を賭けたい方にはぜひ人生を賭けた作品を描いてもらいたいです。私はみなさんを心から応援しています。