若い人がプロの漫画家になるために
こんにちは。いるかMBAの田中裕久です。みなさんはお元気にお勉強やらお仕事やら漫画創作やらに励んでいますでしょうか?
僕の方は、先ほどまで寝転がって森薫さんの「乙嫁語り」を感動して読んでいました。そして、よっこらしょと起き上り、このコラムを書き始めたところです。
このコラムは、主に18歳から20代のプロの漫画家になりたいみなさんにメッセージを届けたいと思い書き始めました。何故私がみなさんにメッセージを届けたいかというと、若いみなさんがせっかくの「才能」がありながら、漫画が完成しなかったり、いつまでもプロの漫画家になれなかったりする例を沢山見て来たからです。
先ほど、「乙嫁語り」の2巻のあとがきで、素敵な言葉と出会いました。
そういえば時々思うのですが 晴れた昼間にひとりで馬の足やら刺繍やらを描いているとこうふつふつと…ふつふつと 私 今 生きてる!!
森薫 『乙嫁語り』(ビームコミックス)
もうね、創作者の鏡だと思います。「生きてる≒描いている」。プロの漫画家や小説家は、プロとして脂が乗りきっている時、こういう「三昧」の境地に達します。司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」を産経新聞に連載していた8年間、ただの一度も外で友人やらとお酒を飲まなかったそうです。
僕たちがいきなりこういう「三昧」の境地に達するのは、無理です。何故なら彼らはプロの創作者で、技術もありますし、編集者というアドバイザーもおりますし、自分の原稿が世間に発表される事で応援のメッセージもありますし、何よりもお金がもらえる前提があるので、アルバイトをしたり、お金の心配をしないで創作だけをする生活ができるからです。
一方の私たちは、生活のために労働もしなければならないし、それによるあれこれのしがらみに神経を使わなくてはならない。なので、創作の途中で何度も意識を寸断されます。また、漫画を描きたい気持ちはあるのだけれど、技術力がないためにどうしても描けず、気づけばゲームをやったりネットを見たり、とりあえず眠るかと嫌~な気持ちで睡眠をしたり、起きて「果たして自分には漫画の才能があるのだろうか?」と不安になってみたり…それはみなさんが一番よく知っているでしょう?
何をもって「才能」があるかはあとで話したいのですが、自分には「才能がない」と見切りを付けて、今後一切ペンを置いて、もう一生創作とは無縁の生活が続けられる人は幸せです。その後一切漫画を描こうとは思わず、正業に就いて生活して行けば良いのですから。
しかし、多くの若い漫画家志望者は、一度ペンを置きながらも、数年後にすばらしく良い作品に出会った時、ついインスパイヤーされてしまい、また創作がしたくなってしまう。漫画家や小説家になりたくなってしまう。で、一念発起して、会社やアルバイトを辞め、また漫画を描き出し、上手く行かずに挫折して…というループ。業としか言い表せない僕たちのこの気持ちはとってもやっかいです。
僕はこの12年間、そういうループを本当に沢山見て来ました。で、もう、そういうループは止めにして、心を安定させて、人によってはプロで、人によっては同人誌即売会に向けて、人によってはWEB漫画や自分のホームページで、楽しく漫画を描きませんか? という提案をしたいです。